ポジティブがそんなにえらいのか?
今日のお昼、仲良しのイラストレーターみそさざいくんと話していて、
会話の流れで最近のTwitterなんかの話をしていて、
ポジティブとネガティブの話になった。
世の中は基本的にポジティブが正義で、
ネガティブが悪とする(少なくともそんな風に感じる)。
それは自己精神衛生上ってこともあるだろうけど、
僕はなんとなく「扱いやすいから」という社会からの圧にも感じる。
ポジティブな人というのは
自分で自分の機嫌が取れて、基本的に前向きで、愚痴を言わずにチャキチャキと行動する。
人を励まし、活動的で、何事も恐れず…etc。
そんなの理想だし、そんなの作られた人格だ。
僕はみんな腹の底はネガティブだと思う。
というかそうであれば安心する。
ポジティブとネガティブは二極化されやすいけど、本当は混在していなければいけないはずだ。
ポジティブとネガティブがあってこその人の心で、どちらかがどうっていうのは違和感を感じる。
僕は概ねネガティブな要素が強い。
落ち込みやすく、妬みやすく、すぐ泣き、誰かと自分を比べる。
でもポジティブな面だってある。
通帳にお金が10円しか無かったら「働きゃいいんだ」と単発バイトで生活費を稼いだり、
全然学校で友達ができなくても「映画が観られる」といって毎日図書館で何かを見ていた。
無計画に上京することだってポジティブな面だと感じている。
だから逆に僕らから見てポジティブに見える人は、ちゃんとネガティブな面もあって、
それでこそ人というものなのだと思う。
今はTwitterなどのSNSで怒りや不安がぶちまけられている。
普段明るい話題しか投稿しない人でさえ。
でもそれでいいと僕は思う。
今はそれが必要な時期でもあると思う。
もちろんそれでダメージを食らってしまう時もあるから、SNSと適切な距離を保ちつつ、
みんながちゃんと怒りや不安や悲しみを機能させているのを見られることに嬉しさや安心感を覚えていたりもする。
こんなひどい状況の中、
補償もされず救われず放置されているこの現状を甘んじて受け入れてニコニコしている場合じゃないんだ。
政治的なことや、純粋な怒りや不安を発言することがたとえ「壊れている」「怖い」と揶揄されても。
無理に起こる必要も発言する必要も無いけど、
ちゃんと言うべき時に言える人はえらい。
今は言葉にすることが無理でも、この現状に違和感を覚えているということを心で、頭で感じているのなら、どうかそのことを覚えておいてほしい。
気持ちは抱くだけでもパワーがある。
とにかく「違うな」とか「怖いな」って感覚を大切にしてほしい。
こんな大切な気持ちを「ネガティブ」なんて簡単な言葉でねじ伏せないでくれ。
いつだって「自分の気持ち」は大事だから。