言いたいこと言えない

きむらさとしの日記

ミミズ

※少しグロテスクな表現(虫の死体とか)があるので、もし苦手な方は念のためご注意を。

悪趣味な話ではないよ!…多分。

 

 

 

今日、近所の喫茶店から帰る途中で、ミミズの死体を見た。

東京でミミズの死体を見たのは初めてかもしれない。

大学生の時、大雨の翌日に世界は潤いに満ちてると勘違いしたミミズが干からびているのを見た以来だ。

 


僕は高校1年生まで、父親の実家で暮らしていた。

見渡す限りの田んぼと、今にも倒れそうな小屋のあるバス停と、絵に描いたような村社会の土地。

 


小学校4年の時に、弟が産まれるということで、福岡の中でも都会にある天神エリアの家から越してきたこともあり、この田舎っぷりにはなかなか衝撃的だった。

小学生から高校生までの記憶で、周りの生き物たちは強く印象に残っていたわけではないけれど、今日見たミミズの死体が色々なことを思い出すきっかけになった。

 


田舎は田んぼや畑だらけなので、年がら年中何かしらの虫や生き物がうろつき、最寄りの自販機に夜向かうと、光っている広告の部分に、ハエや蛾やカエルが止まっていた。

 


特に梅雨の時期は、田んぼから上がってきたミミズや、カエルになったばかりの元おたまじゃくしたちが果敢に農道や車道に繰り出し、瞬時に見るも無惨な姿になっていた。

 


当時バス停まで自転車通学していた自分は、無意識によく虫やカエルをひいた。

口の中に脳くい虫(ホントはアブ?ボウフラ?)が幾度となく突入してきた。

 


春から夏にかけては、テンションがぶち上がったカエルや虫の大合唱が毎晩行われたり、

朝起きたら絶対にカメムシが部屋で死んでいたり、

肌着にいつの間にかカマキリが産卵しており、何故かカチカチに固まっていたりして、

引越し当初は耐え難かったな、ということが雪崩のように蘇ってきた。

 


突如として舞い戻ってきた記憶は、どこか他人事のようで、誰かのブログでも読んでいるような感覚になった。

 


思えば、あの田舎での生活は何もないがゆえの面白さや滑稽さがあった。

知らない近所のおばあちゃんがタケノコを裏口から突然持ってきたり、「小鳥を飼うなんて男らしくねえぞ!」という謎理論で飼っていたインコを逃されそうになったり(これは兄が被害者だけど)、

その時は心底怒ったり泣いたり恐怖していたし、今も恐ろしいと思う一方で、

作り話のようなエピソードが自分の中に眠っていること自体に少し感動した。

 


東京のなんてことない道で見かけたあのミミズの死体、他人のは思えないので死骸ではなく死体と言っておきます。敬意を込められているかは分かんないけど。