言いたいこと言えない

きむらさとしの日記

「で、結局どっちなの?」

ここのところ、本当にいろんなことを考える。
楽しいこと、嬉しいこと。
悲しいこと、悔しいこと。

今日はなんとなく思い立ったことを書こうかなあ。

僕は自分を男とも女とも断定したくなくて、
正直誰かに「性別」を意識させたくなくてふんわりさせている。
そうしていると、人によって「性別による反応チャート」みたいなものが分かってきて、単純に面白い。

自然に男女のどちらかに振り分けられていたり、
特に言及されなかったり、たまに探りを入れてきたり。
どちらか分からないと不安だ、という人は一定数いるし、「女性にはこう」「男性にはこう」といった性別ごとのマナーのようなものもあるだろうから仕方のないことではあるかも。

ある時、知り合いが主催の大きな集まりで、
初めて会った40代くらいの男性と話していて、「きむらさとしです」と自己紹介すると、
「えー?!男みたいな名前だね!!」と言われたので「いやあ、まあ、ははは」と笑っていると「え、女の子だよね?!ね?!」と無邪気に尋ねてくる。
正直めんどくさいので、まあ適当に話を逸らして音楽の話なんかをしても、「そんな細い腕して!!女の子だよね?!」と、しきりに性別の話からブレない。
(自分を貫くのは一般的に偉いとされてるけど、ここでは貫くなよ)
とうとう痺れを切らして「男です男!名前もさとしなので!」と適当こくと、しばらくそれで話は終わったけれど、集まりが終盤に差し掛かると、
「で、結局どっちなの?」と最後に一発カウンター。

ここまできたらもう褒めてあげたいくらいだな。感心する。
その人自体は悪い人ではないし、話も上手で気さくな人だったけれど、そもそもこの世に「悪人的悪」はいないのだ。
それは幻想であり、アイコンに過ぎない。
もちろん例外はあるけど!
その「悪い人ではない」がトラップとなり、こちらが下手に傷ついたり、傷つけられたのに気を遣う。

話は逸れたけれど、それだけ性別を曖昧にしていると面倒なことが多い。
けれど、性別によって対応を変えざるを得ない世の中の方が僕にとってはよっぽど面倒だ。

もちろん、身体的特徴の差などは考慮すべきだし、「女の子らしく」「男の子らしく」を心のお守りにすることは個人の自由だと思う。
でも、それを他人に強制することは残酷で無慈悲だと思う。
「女の子なのにそんなことやってるの?」とか、「男の子なのに器用だね」とか、褒めてるつもりだろうが余計なお世話だ。
「人として」やっているのだ。全てのことを。
少なくとも僕は「男だから」「女だから」という基準の下で自分のやっていることを判断されたくないし、友達と遊んでいるだけなのに「付き合ってるの?」とかバカみたいなことを言われたくない。

僕のことが気持ち悪ければそう思っていればいいし、男、もしくは女だと断定したければすればいい。
でも僕はそんな隔たりを超えて、無視して行動する。
なりたい自分になるために、今日も泣き言を言いながら、もがいていくんだ。

よろしくッ!