言いたいこと言えない

きむらさとしの日記

何かに耐えられなくなった時


昨日に引き続き、今日はなんと雨まで降っている。

気圧は下がりまくり、人々が身体に支障をきたしている。

 


もちろん僕もその一人。

頭が痛くて腰が痛くて悲しい気分だ。

昨日も、ちょっとしたことでふにゃふにゃになってしまった。

 


低気圧が来ようと、空が晴れていようと、

僕は唐突に何かに耐えられなくなる時が来る。

人の心を疑ったり、自らの行いに傷ついたり、社会が人々に優しくなかったり。

理由を挙げればキリがないけれど、一貫して言えることは、

自分の他人の境界が曖昧になってきた時にそれは起こる。

 


かつてとても親しくしていた人が

「大切な人は、僕の人生の一部、身体の一部だから、欠けてはいけないんだよ」と言っていた。

当時18歳前後だったからか、その純粋で美しい言葉にいたく感動したけれど、

今思えばなんで独善的で盲目的な考え方なんだろう、と思う。

(もちろん、そういう愛の伝え方もあるとは思う)

 


その気持ちに、強く共感できる。

好きになった人や、深い関係になった人が突然、もしくは少しずつ離れていくということは、文字通り身を引き裂かれる思いだ。

 


でも、でもそんな人とずっといたら、いつしかお互いに取り込み合い、居なくなり、消えてなくなってしまうんじゃないか、と言う恐怖も覚える。

 


愛と言ってしまえば終わりだ。

でも愛には、相手の領域に入り過ぎないということも必要でないだろうか。

相手が他人であるからこそ、別の存在であるからこそ、心惹かれ、関係していきたいと思うのではないだろうか。

 


君がいなくちゃいけない、よりも

君といると楽しい、の方が何千倍も暖かく優しいな、と、思う。

 


でも、今日みたいな何かに耐えられなくなった時に

ふと、誰かの(何かの)一部になって楽になりたいと思う時がある。

振り払う必要は無いけど、"自分にとっては"有害な考え方だから、隅に追いやって、

小さな積み重ねに、集中するしかないんだと感じる。

 


音楽をやっていると、そういう取り込まれたい欲求から遠ざかれる。

本当に僕は、自分のためにしか音楽がやれない奴なんだな、と落胆しつつ、もう諦めてそのやり方で楽しんでいくしないのだな、とも思えた。

 


落ち込むとその分何かが返ってくるな、という実感だけが、僕を肯定してくれるのだ。