言いたいこと言えない

きむらさとしの日記

18歳

2015年3月28日に、僕は福岡からこの街にやってきた。
受かった学校のすぐそばというだけの理由で借りたこの狭い部屋にたどり着いた時の、
期待に胸膨らんでいたのを良く覚えている。

しかしながら、
入学してすぐに周りとの実力や知識の差に早くもノックアウトされあげくホームシックになったり、NHKや新聞の勧誘に怯んで何度も親の世話になった。
さらに当時付き合っていた恋人と遠距離恋愛になり気持ちは不安定になり電話やら連絡をしまくってちょっと険悪になったり、友達の作り方さえあんまり分からずどんどん空回りして孤立したりした。

大学1年は、ほとんど闇だった。
しかしこのままではと思い立ち、メンバー募集サイトでバンド探しの旅に出て、色んな人と会った。
誰一人として僕のことを知らないという事実は、悲しい反面、同時に僕を大胆にさせる起爆剤にもなった。

秋頃から気の合う仲間が見つかり徐々に学生生活に彩りを見せ、それからはトントンとことが進んでいき、本当に気がついたらここにいた。
ほとんどのことは、流れに身を任せていたのだと最近になって思う。

年上の人たちがよく「大学生活なんてあっという間だ」と言っていたけど、本当にそうだった。
バタバタしていて気づかなかったけど、本当にあっという間だった。こないだまで上京したてだったのに、
今や渋谷を平然と歩き、浅草で遊び、
新宿でライブをしている。
知っている街だらけだ。

18歳の自分にとって、今の自分が最良かと問われれば、そうではないかもしれない。
でも確実に、当時の自分に鬼のように自慢できることがたくさんあった。
ここにいなければ経験できなかったこと、達成できなかったこと、知るはずのなかった気持ちがあった。
味わいたくないことも多々あったし、衝突やトラブル、後悔もたくさんある。
それでも、この部屋とこの街とともに過ごした生活というものに悔いは一切無い。
一生懸命この街で生きた。

今日がこの部屋とこの街で眠るのは、多分最後になると思う。
次訪れる時は、懐かしみの気持ちでしか感じられない。
せめて今だけは、この複雑な感情にしっかりと浸っていたいと思う。

18歳の自分の決断と、
この部屋に感謝。

大学生こわい

大学生が、こわい。

高校生の頃は高校生も、こわかった(今も少しこわい)。
ざっくり言うと"若者"がこわいんだと思う。
いつからなのか、なんでなのかはサッパリ分からないけど、
電車やお店、道で見かけるとつい後ずさりしてしまう。
そういう自分も、今は立派な大学4年生だし、かつては華の高校生だった。
自分が渦中にいてもなお、というかより大学生を始めとする若者がこわくなってくる。
これは、ある種の侮蔑みたいなものが含まれた「共感できないものに対する恐怖」なのだと思っている。

そもそも僕は同世代がかなり苦手だ。
いわゆる”一般の若者”が。
大学生になって髪を明るい茶色に染めて、覚えたての酒に溺れ、バイトに明け暮れ、単位やべ〜とか言いつつなんだかんだ進級して、冬休みにスノボとか行ったりして、大学3年後半になると急に就活のために黒染めして真面目に自己分析とかしちゃって、あっさり社会人になる
…そんな”大学生”(偏見にまみれているのは重々承知なんです)が。

彼らはなんであんなに堂々としてられるのだろうか。
道の真ん中で広〜く幅をとって100人くらいで歩いている。特に夜の渋谷とかで。バカでかい声で。みんな髪茶色だし。
”大学生”は、僕のできないようなことばかりを軽々とやってのける。
「てかLINEやってる?」とか、「ワンチャンいけるっしょ」って言ったり、レポートがやばいはずなのにカラオケ行っちゃったり、単位なんて気にせず狂ったようにバイトをしてハチャメチャに貯めたお金でいきなり海外に行ったり。
そんな彼らを蔑む一方で少しうらやましい。あんなに自由に生きてるのはすごい。若さという一瞬のきらめきを最大限楽しんでいる。
僕がビビってできなかった合宿免許にだって平気で行く。
財布の中に2000円しかなくて次の給料が2週間後にしか入らないのに一夜でスッカラカンにしたりする。

僕にはできない無鉄砲さがある。
”大学生”には何か特別な、パワーがみなぎっているとしか思えない。
その秘密はなんなんだ?
僕だって以前学校の飲み会に参加して二次会まで参加したけど、
得たのは飲まされ過ぎた友達の世話係だけだった。
ていうか飲み会も全然楽しくなかったから介抱係にされて内心ホッとした。

僕と”大学生”の間には、根本的な違いがあるのかもしれない。
その違いを探るべく、アマゾン奥地へ向かいたいところだが、アマゾンの奥地に”大学生”は生息していない。”大学生”の生息地は繁華街だ。
その違いは明確にはわからないけど、もう下手しから遺伝子レベルなのかもしれない。
こんなことをだらだら考えるくらいには”大学生”がこわい。
もう取りとめがなさすぎるくらいこわい。
この気持ちはなんだろう。

僕はもうすぐ大学生から社会人になる。
このペースでいくと、僕は社会人もこわくなってしまうのだろうか。
社会という世界はどうやら広いらしいので、どうかどうか社会人こわいにはならないように、頑張っていきたいなと思う。
そして残り少ない大学生生活で、もう少しだけ”大学生”のことをこわくないようにしたい。

生活は変わる

年始からまだ2週間しか経っていないのに、
前途多難な感じしかしない。
厄年のせいとか、去年の僕の行いとか、
早くも悔やんで悔やんでそわそわしている。
もちろん楽しいこともこの先あるからきっと大丈夫なんだろうけど。

良くも悪くも生活は変わっていく。

最近それを思い知る。
去年の今頃の僕は、まだ大学生で
卒業試験が終わるか終わらないかでほとんど学校も行かずにバイトとライブに明け暮れていた。
さらに卒業してから、憧れの三軒茶屋に住んで下北沢も渋谷もぴょいっと行けるもんだから
友達と遊びまくり、深夜まで酒をかっくらい、
終電を逃した友達と歩いて帰って家でも酒を飲む。
翌日も仕事が終われば誰かと遊び、繰り返し。

今思えば恐ろしく体力のある生活をしていたな。
でもあの時はとにかく悲しいことから必死に目を背けていた。
何かと向き合うのが怖くて、とにかく酒に逃げた。

その間、仲の良い友達は時々めそめそする僕を存分に甘やかしてくれた。
ありがとうね。

その後諸事情で引っ越したけど、
これまた下北沢も渋谷も近いもんだからさらに加速していき、
もうとにかくバイト!音楽!酒!だった。
去年の後半から思ったよりもお金がないということに(遅ればせながら)気付き、
徐々に生活に生々しさが出てきたように感じる。

年末年始ぐらいから、
僕が友達にどれだけ甘えていたかを強く痛感することがあったり、
親や家族に迷惑をかけていたかが明らかに露呈して、
偉そうなことを言って人を攻撃していた自分が恥ずかしくなった。
無知なまま上に立った気でいた傲慢な自分を突きつけられてしまったから、身動きが取れなくなって、
今更すがりついても仕方がないと分かっていても、去年築き上げた「虚無の平穏」を取り返そうと考えてしまう。

散々人を振り回して、
散々わがままを言ったツケが回ってきた。

薄々気づいていたくせに、
いやいやまだまだ大丈夫とタカをくくっていた。

友達も一人の人間だから、
付き合う人が変わったりやるべきことがあるために疎遠になったりする。
仕事の都合で休みが取りづらくなったり、
そのほか色んな事情でなんとなくつるまなくなったりする。

生活は変わる。
そしていつか終わる。

友達の幸せを願っているし、
僕自身の幸せも願っている。

酒に溺れて貧乏を嘆くハンパ者のままでは
どこにもいかれないことも分かっている。
ただ急に訪れたターニングポイントにまだ僕はひどく動揺していて、
去年のように誰かがまた助けてくれるんじゃないかと思っている節がある。
そうでないことも分かるし、自分のことはやっぱり自分でやるしかないんだ。
できるだろうか、とても不安でたまらない。

それでも生活は変わる。

変わってしまうんだ。
変わるべくして。

甘えや過ちや裏切りを繰り返してきた僕の生活は、変わる。
自立と貢献と成長の生活にしたい。
できる限り。

誰かのために、自分のために、
この生活は変わる時なんだ。
いつかくる素敵なひと時のために。

謝らなければいけない大勢の人々と、
感謝しなければいけない大切な友達に。

僕は変わらないといけないんだと思った。

ありがとう、ごめんなさいを唱え続ける一年が始まる。

 

2019年のこと

もういきなり年末になり先週までぽやんとしていたくせに、
いざ29日あたりになると誰と顔を合わせても「年末ですね〜」とか言いやがるような大人になりました。

最後の最後まで、これを書いてるこの瞬間ですらまだうだうだしています。
ということで、今年を一言で表すと
「散漫」かな、と。

1月に悲しいことがあり、
そのせいで爆発したかのように遊び回り「暴れ回り)、
上半期のほとんどはヤケで生きてました。
でもだからこそできたこととか、つながった人たちがたくさんいて、
その勢いで始めた弾き語りの活動も少し注目してもらえたりして、嬉しかったです。

大学を卒業して晴れて"社会人"になったわけだけど、生きるにも引っ越しをするにも働くにもやっぱり学生の時のように物事はチャキチャキ進まず、何事にも金と経歴を要求される。
そうでないところで活躍するには学生を楽しみすぎていたことも痛感。
後悔しつつ、そんな情けない自分を「下積みっぽいね」と茶化してくれた母親、マジで大好きだからね!

私生活はさておき、音楽活動はほぼ上向きのままだったのが嬉しい。
正直今年合計で何本ライブをやらせてもらったか分からないくらいで、ほんとに勉強させてもらったなと思います。

たけとんぼ、湾岸ソルティ、棚木竜介と図書館、押野健バンド、中村ジョーさん
この5組が今年の僕の主な参加バンド。

たけとんぼは、2017年に加入したからもう2年経つのか!と驚きます。
初めて会った時のひらまつさんと僕とは随分立場も演奏も気持ちも変わってきてて、それが面白いなとも難しいなとも感じていて、
ある意味一番苦悩しながらやってるバンドだなと思います。大好きだから楽しんだけどさ!

湾岸ソルティについては、Twitterで公式から発表があったように、途中離脱で「休止」という形を取らせてもらっています。
みんないい人で、音楽活動にはちゃめちゃに真摯なバンドだから、
レコーディングもライブもパワーをかなり使うけどやりがいもかなりありました。
自分が普段やらないプレイができたり、音像について深く考える機会が多くてすごく楽しかったです。
でも僕個人の金銭的・精神的な不甲斐なさが原因で続けることが厳しい、というか一番甘えやすいバンドだったので休憩をもらったという次第で。
易々と言及できず結果なんか気まずい感じになってしまっているのは悲しいけど、
とりあえず僕にできるのは陰ながら応援することかな、と思っています。
また何かお手伝いできたらいいけど、どうだろうか…。

棚木竜介と図書館は、本当にマイペースにやらせてもらってるし、なんならみんなマイペース。居心地が良すぎて軽口を叩いてしまうこと、時折反省しています。
そんな棚木竜介と図書館・通称"たなとしょ"は音源をサブスクなどで沢山解禁しました。
「ディランのハープ」

「ヘヴン」

どちらもジャケットデザインをさせてもらい、こちらもまたのんびりと。
今メインで参加しているバンドの中で一番長くやっているたなとしょは、僕以外みんな音楽活動歴が長く演奏もバカ上手いのでとにかく楽しい。
上手い人とやるとつられて上手くなっていく。気がするとかじゃなくて!笑
あと棚木さんがたまに乞食の僕に美味しい家庭料理を恵んでくれるのでそこ含めてお世話になってます。胃袋掴まれてる!!て感じ。へへ。

押野健バンド!!
これはもう失礼を承知で言うけど、完全に部活みたいな気持ちでやっている。
仲良しの人たちで集まって演奏するというシンプルなスタイルは僕にとって休憩場所にもなるし試練の場所にもなる。
肩の力を抜ける代わりに演奏やMCで油断して大怪我しかねないので、そういうところは鍛えられるな。
僕が完全に一目惚れ(?)で口説いた押野さん率いるこのバンドは、歌の京の小林さん、いーはとーゔの菊地さん、THE PINKEYSの二人の大所帯が基本編成みたいになっているけど、バケツベースを弾く水野さんという方や、他にも様々な人を交える変幻自在バンドだからもうたのし。ほんとに楽しくて大好きなバンドです。
来年も楽しくやろうね。にこにこ

そして今年の目玉ともいえるサポートは、
中村ジョーさん。
僕は元々毛皮のマリーズというバンドをきっかけにバンドを始めたキッズなんですけども、
そのリーダー・志磨遼平が憧れていた存在であるジョーさんのサポートをすることになりかなりびっくりしました。
去年のクララズのレコ発の時の打ち上げでポロっとジョーさんが言ってくださった「一緒にやろうよ」が忘れられず、半ば強引に僕が誘ってサポートが決まった。
ベースはたけとんぼでもお世話になっているアダチヨウスケさんで、安心感もありつつ、
ザ・ハッピーズの曲から現在のソロ曲までやらせてもらい、しびれまくっています。
今年のライブ納めもジョーさんバンドで、イーストウッズの「さよならだって素敵なもんさ」で締めくくることができたのも、静かに感動しています。
「さよならだって素敵なもんさ」

他にも、
クララズ、キャメル、ぎがもえか、ひなたになった、sommeil sommeil、THE PINKEYS、イハラカンタロウ、岩出拓十郎、川床などなど…

たくさんの方のライブに参加させてもらって、こうやって書きながらびっくりしています。

また、レコーディングも
去年に引き続き、世田谷ピンポンズさんのEPに参加させてもらったり、
まだ製作中のクララズ最新音源にも参加しています。

常日頃自分に自信がなく、褒められても未だに濁してしまったりおどけてしまうことがあるけれど、
いろんな人の音楽に関わらせてもらって感謝というありきたりな言葉しか浮かびません。
それでも言います、ありがとうございました。

来年は、僕個人の音源を作ったり、
もっとできることを増やしていけたらなと思っています。

ワーッと書いちゃったけど、
とりあえず今年もズッコケながらも生き抜くことができました。
来年もズッコケる気満々だけど、よろしくお願いします。
みなさん大好きです。

良いお年を!

プライドよ、そこじゃない。

人にはプライドがある。
どんな人間にも生き物にも、大なり小なりあると思う。
もちろんこの僕にも歴としたプライドがある。

しかしながら、このプライドというものが顔を出すタイミングが絶妙が、実にしょうもないのだ。

小さい頃、
友達が怪我して泣いている時に、
「いや、でも僕はこないだなんかもっと血が出たよ」
老害か?
6歳にして既にこじらせている。
また別の日、父親が僕と兄ちゃんに財布を買ってきてくれた。
はしゃいだ僕はよせばいいのに「兄ちゃんのよりカッコいい」と口を滑らせボコボコにされた。当たり前だよ。

プライドはいつでもやってくる。
しかも変なタイミングに。大人になってからもそう。
なごり雪のように来る時を知れよ。プライド。ふざけんな

ドラムである僕がバンドメンバーのボーカルに作曲力の高さに嫉妬したり、
友達の彼女に「いやお前より付き合いが長いから」とえばり、
とことんプライドが空回りしている。

何故なのだ。何故そんなにバグってしまった!

最近反省した僕は、
とりあえず未来を掴むためにほんのちょっとだけ勇気を出してしょうもないプライドを追い払うことにする。

その第一歩としてこっそりここで告白するけど、
実はキッパリ仕事をやめて今は半分ニートのような状態で転職活動をしています。

…大丈夫か、自分。

勘違いすんな

今年もそろそろ終わる。
10月なのでちょっと早いけど、寒くなるともう年末を意識しちゃうな。

今年は何かと激動な一年だった。
その中で個人的に大きな気づきがあったのでお知らせしたい。

僕は善人ではないということ。

これだけ聞くと「あ〜〜らきむら先生またお得意のネガティヴですか?」と思われてしまうのは当然なんだけど、そうではなく、
正確に言えば
「自分の正義を盲信しすぎていてそれを他人に押し付けていた」ことに気づいた、
ということ。

そのきっかけは、今年の頭の大失恋。
細かいことは割愛するけど、
主な原因は僕の心の弱さと承認欲求。

そんで、分かりやすく荒れた。
飲めないくせに酒を飲み、夜中まで遊び、生活が苦しくなるほどに金を使い、遠くへ行き、ライブをし、弾き語りをした。
少し背伸びした生活をしていた。

その中で人を傷つけ自分を傷つけていき、
ようやく気づいた。
僕は善人ではないと。

おせーよ!!!!

今まで僕は、誰かの言いつけを守ることで褒められ、そこから承認欲求を満たしていることが多かった。
学校ちゃんと行って偉い、成績が良くて偉い、学級委員やって偉い、ちゃんとルールを守って偉い、
就活してて偉い、お金貯めてて偉い、など。
とにかく「規律を守る」ことに特化しながらやってきたので、規律に疑問も無く、むしろ守れない人々を見下していた。
でも違う。ほんとは羨ましかった。
そして真似してみたらやり方も下手でどんどん歪みが出てきて、
その怒りを多方面にぶつけた。

たくさんの人に迷惑をかけ、そんなことをいざ知らず「僕は今つらいです。悲しいです。助けて下さい」と走り回っていた。
そんなものは悪だ。ほんとにあの時はすみません、本当に………

「きむらくんは大人だね」と言ってくれる年上の人もいたけど、それは取り繕うのがちょっとうまかっただけで、中身はギトギトでした。うえーん!

しかし、そこに気づけてよかった。
僕にとっての正義(規律を守ること)が、他人にとっても正義かどうかは分からないし、
お互いに譲歩していかなくちゃいけない。
それに、正義を守れない事情を汲まないと話も進まない。
闇雲に「お前は道を外した!」と断罪するのは簡単だけど、そっから話が進まなくなってしまう!

とにかく僕は自分を諦めることができた。
自分に期待せず、わりと気を抜くとすぐ道理から道を外す奴だと把握することで、
自分をもっと簡単にコントロールできるようになった気がする。

僕は善人ではない。
その言葉はとっても清々しく胸に染み付いた。

ほんとに皆さんにお世話になって、
無事僕は道から外れました。
ありがとうございます。

エモ喫茶

僕は地方から出てきた田舎者だ。
出身を聞かれ、福岡ですと答えると決まって「ああ、わりかし都会の方じゃない?」と関東出身の奴らに高評価を頂ける。
しかし皮肉にしか聞こえない。
僕の実家から東京まで約1000km離れていて、歩くと8日半かかる。
だけど君たち生まれながらにして電車で日帰りで行けるじゃないか!!!と、いつも怒りが湧いてしまう。

それはさておき。
僕は関東に来たばかりの頃、
とにかくお金を使いたがらなかった。
大学の飲み会にも参加せず、出かけず、毎日毎日学校と家の往復。
当時のバイト先も家から10分だったので余計に行動範囲が狭かった。

何故なら、金がかかる場所が怖かったから。

例えば原宿。
僕がとても苦手な場所のひとつだ。
なんであんなにギラついているのだろう。
高級そうな時計、派手な配色の服、バカにでかい厚底の靴、ピンクの髪、タピオカ、パンケーキ、猫カフェ、なんの店だかよく分からないイカついビル…

こ、こわい。

とにかくこわいのだ。
そしてそこに行ったとしても何一つ買えない自分の貧乏さに悔しさを覚えた。
しかし僕ももういっぱしの東京もん(今年の頭まで神奈川県民だったけど)だと気合を入れて足を運ぶが、
怒涛の情報量にひっくり返りそうになる。

そしてその次に苦手なのが、喫茶店だった。
たかがコーヒーに600円も700円もしやがって、一体何代なんだよ、と思っていた。
おしゃれなカフェも、純喫茶ももれなく苦手。
なぜなら金がかかるから。

そんなこじらせた金銭感覚を持ったまま就職活動をしていた最中、
たまたま面接と面接の合間に時間が半端に空いたため、ふと目に止まったある喫茶店に入った。

異空間だった。

ヨレヨレのおじいちゃんが、大量のティーカップとサイフォンに囲まれ、経年劣化して渋みを増した建物、もはや何色だったのかわからないくらい日焼けしたドラえもんの置物。
祖父の家より激しく年季が入っていたので、キョロキョロしながら確かに高揚していた。

東京にもこんな田舎くさいところがある。
そうか、純喫茶は都内の田舎だ。
こんなところにコーヒー一杯で何時間もいさせてくれるからのあの値段か。
最高!むしろ安い!ていうかもっとお金が払いたい!

そして僕は喫茶店狂いと自称し、喫茶店のために出かけるという本末転倒な遊び方をし始め、さらにそれをSNSで記録していった。
そのおかげで、普段あまり話したことのない人から
「今度〇〇に行くんだけどここあたりでオススメの喫茶店知らない?」と聞かれるようになった。
とっても嬉しい。

何事も決めてかかってはいけないのだと強く思った。
…でもやっぱり原宿は怖いし、やたらギラギラしたおしゃれなカフェは嫌い。
タピオカもやっぱりカエルの卵だということは変わらない。